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@IT先週の人気記事 - 2004/5/24 プログラミングスキルをもっと評価すべき
によると、
のように、拙著が第1位になっていました。
内容的には、また、「W3Cの標準はW3Cなんだから使われるのが当たり前」「XML Schemaはツールでサポートされれば使える」「あいつらは分かってない」というような人達を敵にまわすような記事になっていますが (笑い)。
なぜか1位になった記念として、グッと我慢して書かなかったことを1つ書いておきます。
本文中に、以下のように書いています。
XMLとはいかようにも発展させられる柔軟な原石のようなものだと思うが、それ故に、XMLにかかわる各人がXMLに見る未来像は異なる。もしXMLの専門家が10人いたら、11通りの未来像があるかもしれない。
この部分は、実は相当ストイックに痩せ我慢をして書いている部分があります。
いや、正確に言えば、ストイックに痩せ我慢をすることが大切であると最近思っていますから、それは正しい選択です。ストイックさも持たず、痩せ我慢もせず、思ったことを何でも書くことは、結果として本人の進歩にもつながらないし、誰にとっても良い結果を生まないと思います。匿名の掲示板などがあることによって、思ったことを責任を感じないで書けることが日常化した今のインターネットでは、特にストイックに痩せ我慢をすることの重要性は高くなっていると思います。
それはさておき。
ここで「XMLとはいかようにも発展させられる柔軟な原石のようなものだ」と書いています。それは間違いないでしょう。たぶん。
しかし、可能だからと言って、いかようにも発展させて良いものではありません。たとえば、特定の用途や使い方に特化する方向に発展させると、汎用性が失われることがあるでしょう。また、機能を増やすことで、軽量なシステムでは使えなくなる、といった問題が起きることも考えられます (既にXMLはこんなにも重いというのに!)
更に、既に様々な既存技術が存在する分野に向けて発展させることは無意味の極地と言えます。たとえば、RDBなどのデータベースの世界にXMLを近づけていく行為は全くの無意味だと思います。RDBが良ければ、RDBを使えば良いし、それで足りなければ、XMLではなくRDBを発展させる方が的確なものをより早く手に入れられるでしょう。(XMLにくちばしを突っ込んでくるRDBのプロが仮想敵になってしまう、という状況は、悲しいながら事実としてあります)
そういうことから考えると、XMLがいくら柔軟な原石だからと言って、その柔軟さを使って違う何かに変えていく行為には、何かしらマイナス面があると思って良いと思います。
とすれば、実は原石は原石として愛でるのが最善ではないか。
違うものが欲しければ、原石を加工するのではなく、別の何かを持ってくるべきではないか。
むしろ、原石であることがXMLの価値なのであって、それを磨くことは価値を減ずることになるのではないか。
(メタ言語というのは、原石のことであると考えれば、まさに原石のまま愛でるのがメタ言語の正しいあり方と言えるか!?)
まあ、そんなことをや、そうでないことなど、いろいろ思うことはありますが。
それは、公式の媒体では書かない内容となります。
余談ですが、公式の媒体と、私的な媒体の区別というものも、今のインターネット上では、非常に曖昧化しているような気がして危惧しています。